イヴァン・アレクセイの300秒
クトゥルフ的な神話事情によく巻き込まれる小説家と一緒に住んでる少し訳ありな留学生の小話
だいぶ前にTwitterに載せたやつの加筆verです。でも短め
時刻は21時。
自身が通う大学の課題をサークル仲間と駄弁りながらこなしていたらこんな時間になってしまい、足早に居候先へ帰る。
少し部屋数が多い普通のマンション。去年から俺はここでホームステイをしている。
単純に親同士が知り合いで、俺が日本に留学したい旨を話したらここへ行き着いた。
居候先の家主は4歳ぐらい年上の小説家。言葉の表現力が豊富で、自分の拙い日本語を補ってくれる人でもある。
「ただいま帰りマシた〜。……あれ?」
玄関を開けて暫くしてからの違和感。
いつか何処となく感じる家主の気配がない。
しかも彼は1週間前、取材と言って唐突に遠出をし、これまた唐突に昨日有り得ないほど疲弊して帰ってきた。
理由を聞いても『酷い目にあった』の一点張りでそのまま部屋で寝ていたし、ああなったら2日は部屋に引き篭る男だ。
その彼が居ない…?
1番に仕事部屋を覗くが原稿が散らばっているだけでやはり姿はなく、不安に駆られながらも居間へ行くと、薄らと肌寒さを感じる。
そのまま視線を向けるとベランダへの窓が全開になってカーテンが揺れていた。
嫌な予感がする。
脳裏に、帰宅時に見たあの有り得ない疲弊と『彼を混沌へ巻き込む存在』がチラつく。
色々と考える間もなく自分はベランダへ向かい、カーテンを乱暴に開けた。
「あ、おかえり」
柵の下を覗き込もうとした瞬間、真横から掛けられる聞き馴れた声に、ぽかんと口を開けた。
面白いぐらい自分は間抜けな顔なんだろう。振り向いた先に居た男は目の下に濃い隈を携えながらも苦笑していた。
「ンだよ。俺が飛び降り自殺したとでも思ったか?そりゃミステリーやホラー性に欠けるな」
そう言って彼は…司さんは持っていた煙草に火をつける。味を確かめるように深く吸って名残惜しく長く煙を吐いた。
一連の流れが終わってから俺はようやく口を開く。
「そりゃ驚きマスよ?あんなに疲れて帰ってきたのに何処にもいないんですから」
「部屋で煙草を吸うのは嫌いなんだよ。本や原稿に引火したらどうすんだ」
「…1週間何してたんですか?」
「旅館で騒動に巻き込まれて、殺人犯に仕立てられてなぁ」
「お、oh…それは災難デスね」
「だろ?次の小説のネタにしてやる」
小柄だが歳上な男性は心配かけまいとはぐらかすが、俺は何となく彼の置かれている状況を知っていた。
当然、それに同行できないもどかしさもある。
いつの間にか彼は2本目の煙草に火を付けていた。
「ペースが早いデスよ。体に毒デス」
「……300秒」
ぽつりと零す数字に思わず「?」が浮かぶ。
「煙草1本吸うと300秒寿命が縮むんだと。緩やかな自殺だな、こりゃ」
無意識だろう。自虐気味に笑う彼に何を返せばいいか解らずにいると、おもむろに差し出される煙草。
「成人してんだから吸えるだろ?」
ライターを借りて火をつけ、煙と落とされる灰を眺める。
「タチの悪い人だ」
煙草の匂いは独特であからさまに顔を顰めてしまった。
「外国人がそんな日本語何処で覚えてくんだ」
「目の前に乱暴な言葉遣いをする人がいるので。そんなにスパスパ吸って、生き急いでも良いことナイデスよ?…あ、」
ついポロリと本音が出てしまい、口が滑ったと後悔する。
しかし彼は不機嫌になる様子はなかった。
「確かに、きっと俺は死ぬ間際に『あと300秒あったら』って後悔するな。でも病気で死ぬとかじゃなくて呆気なく、後悔する間もなく一瞬で死ぬ可能性もある。なら吸って死んだ方がいいだろ」
「……今度遠出する時はオレも連れてってくださいネ」
苦し紛れに返す。
彼の言葉の裏に隠された真意に何となく勘づいてしまった。
声が震えてしまったが、彼は気づいていないかの様に無視をして、そのまま話を続ける。
これだから大人はずるい。
「おめー大学生だろうが。長期休みの時は連れてってやるよ。じゃ、また寝るわ」
まだ半分ほど残ってる2本目の煙草を雑に灰皿に押し付け、彼はベランダを後にする。
猫背で細い背中を見送り、まだ自分の指に挟まっている煙草を口に当てて、そのまま息を吸う。慣れない煙と匂いに当然むせ込んでしまった。
「…やっぱり不味い」
恐らく司さんは、あの混沌の神が飽きるまで弄ばれる運命なのだろう。
それが腹立たしく、同時に何も出来ない自分も嫌いだ。だからせめて、この煙草だけは吸いきる。
『煙草1本につき300秒寿命が減る』と彼の言葉が頭によぎった。
何も出来ないならせめて寿命だけは彼に近づけたいと思ってしまったのは、可笑しな話だ。
貴方が緩やかな自殺をするのなら、後を追うのも吝かではない。どうしてかそう思ってしまった。