名前とこれから
続 日暗さんとラグナ。日暗さんが日暗と名乗るようになったきっかけの話。まだイヨと再会してないです。会話文多め。
「 ーーーー 」
「んー?」
恩人である彼に拾われ、ある程度言葉を理解できるようになってから分かったことがある。彼は、本名で呼ばれるのが苦手みたいだ。
苦手…は語弊かもしれない。だけど違和感がある。
「アンタ、なまえ呼ばれるの、嫌い?ニガテ?」
拙く…それでもだいぶ伝わりやすくなった言葉で素直に訊く。ほんの一瞬、彼の眉間にシワが寄る。質問を間違えかもしれない。
「あー。そんな不安な顔するなよ。ううん、そうだなぁ…呼ばれ慣れてないってのがあるな。あと、本名だと素性がバレちまうかも」
「バレるほど、有名?」
「それはない。でも、何処から情報が流れるかわからんからな。二百年も前だが、俺がガキのころ暮らしてた集落は結構大規模に破壊されたんだ。特定されかねない」
困ったように彼は笑う。きっと、半分嘘で半分正解だ。でも深くは訊かない。まだこの世界に来て浅いけど、能力者達がどれほど厳しい立場にいる種族なのかは理解しているつもりだ。
故郷…もしかしたら、とひとつの仮説が思い浮かんだ。
彼は、故郷をあまり思い出したくないのでは、と。
言葉がある程度通じるようになってから、互いに素性を明かした。今までどうやって生きてきたのか、何処で何をしていたのか。彼は自分でも分かりやすいように簡潔に話してくれた。
彼は集落破壊時、目の前で家族を…妹を喪った。両親もいない。後の師匠に拾われて離れてからは独りで生きてきたのだろう。
つまり本名は、凄惨な故郷を思い出してしまうピースの1つ。
自分を路地裏で見つけてくれた太陽みたいなこの人は、案外繊細な人なのかも知れない。
「なら、なまえ変えるか?」
「変える?」
「ニャ…アンタ、たくさんのなまえで呼ばれてる」
近場にあった新聞の記事を指さす。1度彼に教えてもらっただけで、意味と文字の繋がりはわからない。まだ完璧には分からず記号にしか見えないが、『日暗』『影狼』『神速』は、おそらく彼の『あだ名』だろう。
不意を突かれたように彼は橙色の瞳を大きく開けた。
「イヤ、か?」
「嫌じゃない。あー、そうか。そうだな!ラグナはめちゃくちゃ頭良いな!」
そして聡い!」
「ニ、ニ"ャー!」
わしわしと雑に頭を撫でられ、つい変な声が出てしまう。彼は自分の猫耳を触るのが好きみたいだ。…実は猫じゃなくて豹なんだけど。上手く伝えられないのでとりあえずそのままにしている。
「悪いなラグナ。俺の事を気にかけてくれて。気になることあったら、遠慮なく訊いてくれな」
「んにゃ…。なまえ、どーする?」
「そうだなぁ。ラグナどれがいい?」
「これ、なんて読む?意味」
自分の問いに、彼は面倒くさがらず教えてくれた。『影狼』は『かげろう』、『神速』は『しんそく』、『日暗』は『ひぐらし』。これが自分が初めて覚えた文字。
「『神速』は足が速いって意味だから名前にするのは気が引けるな…ダサい」
「ダサいダメ。『影狼』ハ?」
「そのまま影の狼。俺、めちゃくちゃ仕事出来んの。だからたまに集団で行動してると思われるんよな」
「じゃあ、なまえ違う。狼、獣。群れのなまえ」
「違うか〜」
「『日暗』ハ?」
「たぶん、俺の出没時間が夕方だからだろうな。夕方は見つかりにくいんよ」
「…ひぐらし!ひぐらし、いい!なまえ!」
『ひぐらし』その音を頭の中で転がし意味を考える。直感で、彼らしいと思いつい前のめりに答えてしまった。
誰も追いつけず、橙から紫に沈む夕焼け空に滲んで何処となく消える彼を想像するのは容易だった。人間は嫌いだが、このあだ名をつけた奴は褒めてもいい。
「…じゃあ今から俺は日暗だな!良いじゃねえか。日暗」
「でも、」
「大丈夫だよ。本名を捨てた訳じゃねえ。あの名前は大切なんだ」
彼は自分を…ラグナを聡いと言ってくれたが、彼こそそうだろう。気持ちを読み取るのに長けている。そしてこちらを安心させてくれる。だから惹かれてしまう。
「なまえ、大事」
「おう。ラグナもだろ?」
「ニャ、なまえ、ラグナの親くれた唯一の『好き』。そのあと群れにダメダメ言われたケド、なまえはちがう」
「……そうか」
自分が生まれた世界で、自分は親から蔑まれるほど出来損ないだった。当然群れにも居られない。獣は力社会だから、出来損ないは死ぬまで出来損ないなのだ。同情はあったが、愛情というものをほとんど受け取らなかった。その中で、唯一の贈り物が、この『ラグナ』という名前だ。
……拙い言葉で上手く伝わったかわからない。でも彼は、なんとなく自分が言ったことを理解してくれたみたいで、難しい顔をしていた。
「しんぱい、か?かなしい?」
「いや…心配したり、悲しんでしまったらそれは同情と等しい。ラグナはそれ、嫌だろ?」
「イヤ!だ」
「な。ラグナはダメダメじゃねーよ。めちゃくちゃ足速いし、器用だし、すぐ言葉覚えるし、こうやって俺に新しい名前をくれたようなモンだからな」
初めて、そんなことを言われた。じんわりと胸の奥が熱くなる。
彼…もとい日暗も名前が気に入ったようで「俺はひぐらし〜」と鼻歌を歌いながら新聞や資料を片付けはじめた。
「そーだラグナ、これからお前どうするんだ?体調良くなったし言葉もまぁまぁ上手くなったしな。文字はこれから覚えてくけど…」
「ンに、決めてる。日暗のとこいる。手伝い。ダメ?」
「え……っ、」
バサー!と手に抱えていた資料を彼は驚きのあまり落とした。その音に、つい自分の耳と尻尾もぴんと立つ。
「まじで?」
「マジでよ」
「…危ないし、ラグナには関係ないことだぞ?」
彼の声色が急に重く、低くなって鳥肌が立つ。「まるで関わるな」と言いたげに、空気が刺すようにザワついた。それでも、負けない。
「ラグナ、あの世界戻りたくない。アナタ、ラグナの恩人。それで充分。アナタ嫌でも、勝手に戻ってくる。追いかける。イイ言うまで駄々こねマス」
真っ直ぐと、彼の顔を見る。
根負けしたのか、彼はため息をついた。
しかし嬉しかったのか、口元を覆っていた手の隙間から、ニヤついているのが見える。
「…悪い。初めて人にそういうこと言われたから、うーん…照れた…」
「返事」
「し、仕方ないなぁ!駄々こねられても嫌だから手伝わせてやるよ!…よろしくな」
ん、と手を差し出される。何か分からず。真似をするとギュッと握られた。
むず痒い感触に背筋がぞわぞわする。
「握手。よろしくって意味。俺もあんまりした事ないけどな」
「ンにャ…。よろしくデス、日暗サン」
「さんは付けなくて良いって」
「そんけーする人にはサンつけるマス?」
「もー、勝手にしろ。とりあえず、ラグナが外出れるように帽子かなんか買わないとな」
「お外!!」
照れくさく笑う彼もとい日暗。
これは、まだ『影狼』と呼ぶには人数が足りない。群れになる前の話。